子供のころにあの裏山の向こうはどうなってるのだろうと思いながら行きもせず
町中に引っ越した
大人になり、その家にはだれも住むこともなく、朽ち果てるのを待っている
これも時間の流れであり仕方がないことであろう
あんな山奥に好き好んで住む親せきもいないだろうし、ましてや親戚たちはその山奥の貧乏暮らしを記憶から消してしまいたいような言い草である
私の場合は祖父や祖母の思い出の詰まった場所でしかない
いい思い出かと言うと違う気もする
次女であった母親が兄妹の面倒を見ることが多かったので
祖父の威厳を守るために私は祖父が引き取り育てられた
祖父が笑ってる顔など見たこともない
今の時代であれば問題になるのだろうけど
昭和の経済成長時は違ったようである
母の兄妹たちも私がなぜ祖父に育てられたかを聞くと、はっきりと本当のことを言わない
何となくあいまいな返答をする
その母の兄弟も何人かはもう亡くなっている
父は口には出さないが笑いながら母の兄弟の押しかけには嫌気さえ感じてた様なことを
ポロっといったこともあった
そのうえに父とは子供のころに一緒にいなかったので、いまだにお互いに他人行儀なところもある
60歳も近くなり、母はとても兄弟や実家のことを考えていたのだろうけど
真実を伝える兄妹はいなかったことに気づかされる
祖父は神格化されて、母はスナックのママだったことだけが残った
母の兄妹に言いたい
その時代に母は一生懸命頑張ったんです
妹の一人は、飲み屋なんかしなければよかったのにと
その妹はそこで働き店まで持たされたがすぐにやめた
そしていまだに人を見下げることを言う
今更こんなことを書いてもどうにもならないが、
祖父が自分の威厳のために私を田舎に連れて行ったことは
正しいとは言えないことだけは今判断できる
だが、数年でもそこにいて育ち生活をした田舎
子供なりの思い出もあることは確かである
私が生きている間だけでも、墓参りや草刈り位は少しやろうと思ってる